2009年06月24日

温室効果ガス

温室効果ガス(おんしつこうかガス、Greenhouse Gas, GHG)とは、大気圏にあって、地表から放射された赤外線の一部を吸収することにより温室効果をもたらす気体の総称である。

対流圏オゾン、二酸化炭素、メタンなどが該当する。近年、大気中の濃度を増しているものもあり、地球温暖化の主な原因とされている。

京都議定書における排出量削減対象となっていて、環境省において年間排出量などが把握されている物質としては、二酸化炭素(CO2)、メタン(CH4)、亜酸化窒素(N2O)(=一酸化二窒素)、ハイドロフルオロカーボン類(HFCs)、パーフルオロカーボン類(PFCs)、六フッ化硫黄(SF6)の6種類がある。

最新のIPCC第4次評価報告書では、人為的に排出されている温室効果ガスの中では二酸化炭素の影響量が最も大きいと見積もられている(地球温暖化の原因を参照)。これに対する懐疑論も見られるが、多くは反論されている。

水蒸気も温室効果を有するものの、蒸発と降雨を通じて宇宙空間へ向かって輸送する働きも同時に有する。全体的には上記のような物質が気候変動の引き金となり、水蒸気はその効果を増幅するとされる。


世界の排出量 [編集]
世界の主要国の排出量は、2005年時点で二酸化炭素に換算して約266億トンに達している[2]。2005年時点での各国の排出量は、アメリカ(22%)が一番多く、それに中国(19%)、ロシア(5.8%)、日本(4.7%)、インド(4.5%)、ドイツ(3.0%)と続く。
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また国連の下部機関であるUNFCCCの集計結果が、温室効果ガスインベントリにて公表されている。


日本の排出量 [編集]
日本における温室効果ガスの排出量は、2007年度は前年度よりも2.3%増加して過去最高を記録し[3]、二酸化炭素に換算して13億7100万トンになっている[4]。これは京都議定書の基準年(1990年)に対して8.7%の増加となっており、2008年 - 2012年の平均値として約束した-6%を達成するには現状よりも最低9.3%の削減が必要になっている[4]。世界の排出量に対しては約5%を占めている[5]。また一人あたりの排出量では2005年時点で4位である[6]。

詳細な数値は、日本国温室効果ガスインベントリにおいて公表されている。これは日本から正式にIPCCに提出されている値である。


2009年06月09日

中国東北部(ちゅうごくとうほくぶ)

中国東北部(ちゅうごくとうほくぶ、中国語簡体字:中国?北)とは、狭義には中華人民共和国の遼寧省・吉林省・黒竜江省の東三省(現・東北三省)区域を指す。中華人民共和国における地域をブロックに分けた区分では「東北区」と呼んでいる。

広義には東三省と内蒙古の東北部(すなわち現在のホロンバイル市、ヒンガン盟、通遼市、赤峰市)を合わせて指す。19世紀中ごろの不平等条約でも清朝のもとに残された、いわゆる内満州地域である。

中国の他の地域とは違い、東北三省の住民は遼寧、吉林、黒竜江の各省の住民としてよりも「東北人」としての意識が大きい。この原因にはこの地区の独特な歴史、風俗習慣及、言語の一致、「闖関東」と呼ばれる人口移動現象により、河北省、特に山東省からの移民が主に関係している。
感染症
ケーブルテレビ
インフルエンザ
バイオリズム
戯曲
天体
喜劇
真菌学
日本画
宇宙ステーション
地層の作り
神社案内
未知の宇宙
脳と神経
日本の重要文化財
下町東京
広島の歴史
不動産用語
サンタはどこ
牛の生涯

言葉は、大部分の人たちは中国官話(中国語北方方言)を話し、ハルビン人は現代中国語の発音が最も正しいといわれていて、ハルビン出身のラジオ・テレビのアナウンサーも多く、また瀋陽を中心に東北官話が、大連付近は膠遼官話が使われている。東北地区は漢族を主体として、満族、モンゴル族、朝鮮族、オロチョン族、エヴェンキ、シボ族及びロシア人等の文化習俗に日本・ロシア・朝鮮の国家的風俗文化と言語が融合した多元文化圏に属している。多くの満州族文化と共に日本・朝鮮・ロシアからの語彙と生活様式を吸収しており、語彙では、“?斯”(日本語の瓦斯の音訳:ガス)、“咧巴”(ロシア語Хлебの音訳:パン)、食べ物ではロシア料理や朝鮮のキムチ、犬肉食などが外来文化の影響を受けている。一般に、晩秋白菜を瓶に漬けた「酸菜」(スヮンツァイ)に、豚肉とジャガイモを入れて鍋で煮た料理は、東北人が冬最も好む地方料理である。

東北地区起源の他の伝統文化に、二人転、ヤンガー(秧歌)、吉劇、高足(中国語繁体字: ?高蹺、ツァイガオチャオ)がある。[1] 東北地方の民謡に、子守唄「東北揺籠曲」(“月児明、風児静、...”)もある。

また、文化教育施設、教育普及率と進学率は中華人民共和国のなかで高い水準にある。そのうち、遼寧省の高等教育の普及率は中国で最高である。主な科学研究機構はハルビン、長春、瀋陽、大連に分布し、そのうちで光学機械、冶金、軍需産業の研究水準が最も発達している。

他にも、満州国時代の影響から、中国国内の他の地域と比較して、対日感情は良いと言われている。

2009年06月06日

鎌倉時代に石和五郎信光が若狭国大飯郡に

鎌倉時代に石和五郎信光が若狭国大飯郡に源力木山城を築く。若狭武田氏は安芸武田氏4代武田信繁の長男である武田信栄が、室町幕府6代将軍足利義教の命を受けて1440年(永享12年)に若狭守護職・一色義貫を誅殺した功績により若狭守護職を任命されたことによって始まる。足利将軍家および細川京兆家の信任が厚く、歴代の多くが武田信光以来の武田伊豆守の名乗りを許されていたことから、武田氏の本流という見解も存在する。信栄は、一国守護となったのを機会に安芸から若狭に本拠地を移した。信栄のころは、まだ遠敷郡小浜(現・小浜市)ではなく、大飯郡高浜(現・高浜町)に武田氏の館があったといわれている。信栄は1441年(永享13年)28歳の若さで病死するが後を弟の武田信賢が継ぎ、安芸国と平行して若狭国経営に乗り出した。信賢以後、武田家は分裂し、安芸武田氏は信繁四男・武田元綱が継ぎ、若狭武田氏は信繁三男・武田国信が継いだ。

武田信賢は若狭国内の一色氏残党や一揆を次々に鎮圧して国内を固める一方、応仁の乱では東軍に属して丹後国に侵攻するなど活躍し、室町幕府からの信頼も厚く、また文化人とも積極的に交流している。3代国信以降は若狭国、丹後国加佐郡を中心に領国経営を行う一方で幕府の出兵要請に応えて頻繁に京へ出兵する。丹波守護の細川京兆家の要請による丹波への出兵も多かった。しかし周辺諸国からの圧力、有力国人の離反などが相次いで国内での勢力を弱め、8代武田義統の時代には家督争いも加わりさらに弱体化が進行する。1566年(永禄9年)8月には姉婿の義統を頼って入国した足利義昭を庇護するが、家中の混乱を見かねた義昭一行は早々に越前朝倉氏を頼って出国し、若狭武田氏も2年後の1568年(永禄11年)8月に、越前朝倉氏の若狭進攻によって領国を失う。
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最後の当主9代武田元明は、朝倉氏によって一乗谷城居住を強いられていたが、1573年(天正元年)に織田信長によって朝倉氏が滅亡すると若狭に帰国した。しかし信長より若狭を任されたのは丹羽長秀だったので元明は大飯郡の石山3000石のみの領有を許されただけだった。1582年(天正10年)の本能寺の変では旧領回復を狙って丹羽長秀の居城佐和山城を陥落させ明智光秀に加担するも、光秀に勝利した羽柴秀吉・丹羽長秀によって自害を命じられ、若狭武田氏は滅亡した。

2009年04月23日

メープルシロップ

メープルシロップの収穫は主に、「シュガーブッシュ」などと言われるサトウカエデの木立の中で行われる。サトウカエデの樹液を集めて「シュガーシャック」と言われる小屋の中で沸騰させ濃縮させる。

樹種としては砂糖楓 (sugar maple) が最もよく知られており、これから作られたメープルシロップの量・品質が高い。その他、クロカエデ (black maple)、アメリカハナノキ (red maple)、ギンカエデ (silver maple)、シロスジカエデ (striped maple)、アメリカヤマモミジ (mountain maple)、ノルウェーカエデ (Norway maple) など、日本ではあまりなじみのないカエデ類からも生産されている。

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樹液は、2?4月の春先、寒暖の差が最も大きくなる季節に、直径 30 センチメートル以上の木に小穴をあけて採取される。採取の時期は気候によって異なる。2%?2.5% の糖分が含まれ、季節によって異なるが、1本の木から約 40?80 リットル採れる。

ケベック州は世界最大の産地で、2001年には1,560万リットルの収穫量があった。ケベックやオンタリオ州のメープルシロップ産地では、シロップ収穫は文化の一部となっており、毎年2月の収穫の時期にはシュガーシャックでお祭りが催される。シロップ収穫期間中、ホットケーキやワッフルを食べさせるシュガーシャックも多く、人気のあるシュガーシャックには行列ができる。

地球温暖化が進むとカエデの分布が現在よりも北に移動することが予想されるため、メープルシロップの産地では温暖化の地域経済に与える影響が懸念されている。

ケンタッキー州では胡桃(くるみ)の木から採取したウォールナット・シロップ (Walnut Syrup) という変わり種もある。また、シベリアやアラスカでは樺の木 (Birch tree) から採取したシロップがある。いずれもメープル・シロップには及ばないが、貴重な糖分を得る方法となっている。

2009年04月19日

トラシメヌス湖畔の戦い

トラシメヌス湖畔の戦い(とらしめぬすこはんのたたかい)とは、紀元前217年6月24日にイタリアのトラシメヌス湖畔(現在のトラジメーノ湖)で起こった共和政ローマ軍とカルタゴ軍の戦いである。ハンニバル率いるカルタゴ軍が、ガイウス・フラミニウス率いるローマ軍を破った。
ティキヌスの戦い、トレビアの戦いと連敗を重ねたローマの元老院は、紀元前217年、執政官にガイウス・フラミニウス、グナエウス・セルウィリウスの両名を選出し、新たに4個軍団50,000名を動員した。ハンニバルの南下経路が予想できなかったため、両執政官はそれぞれ2個軍団25,000名を率い、セルウィリウスはリミニへ、フラミニウスはアレッツォへ向かった。

カルタゴ軍はアペニン山脈を越えてフィレンツェに到着し、ペルージャへ向けて南下した。(なお、このアペニン越えの際に、ハンニバルは右目を失明していた)。カルタゴ軍の動きを察知したフラミニウスは、セルウィリウスへ合流の要請を出すとともに、アレッツォを出陣してカルタゴ軍を追った。フラミニウスの意図は、セルウィリウスの軍団とカルタゴ軍を挟撃することにあった。しかし、ハンニバルはこれを予測し、逆に各個撃破の機会を狙っていた。

トラシメヌス湖畔に到達したハンニバルは、直ちに部隊を展開させた。トラシメヌス湖の北岸を通る街道は、丘陵の間を通る隘路であり、迎撃と埋伏に最適な地形だった。ハンニバルは、湖畔の出口側へ重装歩兵を配置し、そこから西へ軽装歩兵、ガリア兵、騎兵の順番で丘陵の陰に隠れるように配置した。重装歩兵が敵の進軍を阻止し、騎兵が退路を遮断、軽装歩兵とガリア兵が敵主力を攻撃して湖へ追い落とすのがハンニバルの意図であった。
ウリヤ きくすい ルーン はに丸 フィッシン サディ ビアガー ジャック コスプリ ワニス 深海 トリオ パンパン ボート レーター しじゅう オフロード シーン ドラム ナミビア やちょ アカペラ セミプロ レガッタ ロヤジル トルソ フフホト ケモカイン リンリン メシマ ニュー ビュス プロテクト テーブル シャレー コリオン 四季の綱 トメント フォロー オマージュ ゲート パセリ フォーク ナーダム おきな シート しょうわ サック ティペット ジョンツ


戦闘展開
紀元前217年6月24日(日付は諸説ある)早朝、フラミニウス率いるローマ軍はトラシメヌス湖畔に差し掛かった。この日は濃霧のために視界が悪く、ローマ軍は接触までカルタゴ軍の存在に気が付かなかった。ローマ軍先鋒とカルタゴ軍重装歩兵の戦闘が始まると、直ちにカルタゴ軍騎兵がローマ軍の後方へ回りこみ、退路を断つと同時にローマ軍を前方へ押し込んだ。この時点でローマ軍は大混乱に陥っていたが、丘陵の陰から軽装歩兵とガリア兵が出現すると混乱は頂点に達した。側面奇襲に成功したカルタゴ軍は、長く伸びたローマ軍隊列を分断し、またたくまにこれを壊滅させた。ローマ軍の前衛がカルタゴ軍重装歩兵の戦列を突破したが、逃亡出来たのは6,000名に過ぎなかった。戦闘は三時間で終了した。

この戦いにおけるローマ軍の死者は15,000名を超え、指揮官のフラミニウスも戦死した。一度は逃亡に成功したものたちも、カルタゴ軍の追撃によって大半が降伏に追い込まれた。一方のカルタゴ軍の損害は1,500名から2,000名程度であった。

この敗戦はローマに大きな衝撃を与えた。元老院は非常手段としてファビウス・マクシムスを独裁官とし、事態に対処させることとした。ファビウス・マクシムスは巧妙な機動によってハンニバルとの決戦を避け、相手の消耗を待つ持久作戦へシフトした。

ハンニバルは敵の包囲殲滅を狙っていたが、トレビアの戦いに続き、今回も完全な成功とはいえなかった。これは両者の歩兵の質に起因するものだった。ローマ軍は統一された軍隊で結束力が強く、一方のカルタゴ軍は傭兵やガリア兵の混成部隊だったため、戦列の耐久力が低かった。トレビアでもトラシメヌスでも、ローマ軍の重装歩兵はカルタゴ軍戦列の突破に成功していた。ハンニバルはこの戦訓を学び取り、自軍の弱い部分を補う方法を考えた。一方のローマは、二度の大敗を喫したにもかかわらず、敗因の分析を怠った。この両者の姿勢の差が、次のカンナエの戦いで明白な結果となって表れた。


2009年04月04日

軍配(ぐんばい)

軍配(ぐんばい)とは戦に際して方角を見極め、天文を読んで軍陣を適切に配置すること。また、「軍配団扇(うちわ)」の略。もっぱら後者の意で用いられるため、本項ではそれについて述べる。

概要 [編集]
室町末期以降、合戦の指揮官(大将)が采配をふるう際に捧持する光景が見られるようになる。古くから軍兵の指揮を執るときは、総(ふさ)に柄(え)を付けた「采配」という道具が用いられたが、早くから実用性は薄く、もっぱら威儀を整えるために使用されるのみであった。室町期に入り集団戦術の隆盛に伴って、団扇に方位・方角や十二支、陰陽・天文・八卦、二十八宿、梵字などを箔押しした軍配団扇が好んで用いられるようになり、武将や軍師の肖像にも多く描かれたものが残っている。当時の軍配者にとって、合戦の勝敗は本人のみならず一族の盛衰にもかかわる重大事であり、出陣の日取りや方角で吉凶を占い、天文を観察して未来を予測することは軍配者の大きな役割であった。団扇は古くから悪鬼を払い、霊威を呼び寄せるという意味合いで、神事などにも用いられてきたもので、戦場で指揮官が用いたのも戦勝を呼び寄せることを祈願したものであろう。

その形状は逆瓢箪(ひょうたん)形、楕円形などの板に柄(え)を付けたもので、羽に相当する板は漆(うるし)塗りの革や木、鉄製で、柄は鉄製の物が多く見られる。江戸時代以降は兵法軍学の隆興とともに流派ごとの形式化が進み、もっぱら儀容を繕うための装具として重みを増していったが、江戸末期の西洋軍学流入によって実用に供されることは無くなった。

相撲の軍配
現在、軍配といえば相撲の行司が使用することで広く知られており、勝敗が決するときに勝者の側へ軍配を上げることから、勝利することを「軍配が上がる」というようになった。相撲に軍配が使われるようになった所以は、戦国時代、武士たちが陣中で相撲を取るときに、行司役の武将が勝敗を裁定する道具として使ったからであるという説がある。相撲は元来、神事であり、合戦前には神仏に戦勝を祈願することは普遍的に行われていたであろう事から、大いに考えられる説ではある。江戸時代、勧進相撲が始まった初期は扇子や唐団扇などが用いられていたが、元禄期に入って、それらのかわりに軍配が使われるようになった。相撲の軍配は樫、ケヤキなどで作られ、枠に金属を嵌め、柄は鉄製や木製などが使われた。

軍配の房
大関・横綱 紫または紫+白
関脇・小結 紅
前頭 紅白
十両 青白

ポップ ルーペ チョーカー シスコ ヤマブキ スカル タイタ イタドリ スター リーザー ケプラー プリンス バトントワラ ビーエス ドリー おおばこ 夢の跡 朧月夜 キック セルフタ 金時 モナーキー シクリカル ショック アウフへ ペンター 旅の夜風 マンド サンチュ ナンバ ショタコ ハンド レイン 都の桜 ハマソウ メッセ ノリウツ しゅひょう ニューメ パンチ ゲーマー ムハンマド ニエオ プレー ビキサン タント ヒッポグ タキシ 秋霖 トラスト

2009年03月20日

セレンゲティ国立公園

セレンゲティ国立公園は、タンザニア連合共和国北部の、マラ州、アルーシャ州、シニャンガ州にまたがる自然保護を目的とした、国立公園。アフリカで一番良く知られた国立公園の1つ。1981年、ユネスコの世界遺産(自然遺産)に登録される。セレンゲティとはスワヒリ語で「果てしなく広がる平原」の意。

キリマンジャロの裾野に広がる大サバンナ地帯にある。広さは14,763km2。四国全体の面積よりも広く、また東京都・神奈川県・千葉県・埼玉県を合わせた広さ(13,404km2)よりも大きい。さまざまな動物が、約300万頭生息していると推定されている。
いしか ネーブル すたーふる リンホ オペミ 人気ツル タルク ガバナンス 二人のロ フォレ ギロチン トンコツ なか ダンス エベント タクティ タシケント バトンタ ポンプ グルーピー ツァイ ティッ フラット オーソ カルソ ラングド テニス ルチンスク プレーバコ とんだばや ピラカンサ パートタイ コネク ディア ミニチュア ラミア ルクソール ドアロック キンモ ビッグベン のあや フロイト リリー ビッグ ケワキ ハープ レンブ ビーエス ノッチ ロック

セレンゲティを代表する動物は、ヌーである。生息している動物の約3割がヌーであるといわれている。ヌーは、雨季と乾季で草原を求めて、隣接しているケニア側のマサイマラ国立保護区へと1,500kmの移動を繰り返す。雨季となる12月から6月の間は、地平線をヌーが埋め尽くし、壮観である。

見ることのできる動物 [編集]
ライオン
チーター
ヌーなど

2009年03月05日

エルフ(英:elf, 複数形elfs, elves)

エルフ(英:elf, 複数形elfs, elves)はゲルマン神話(ペイガニズム)に起源を持つ、北ヨーロッパの民間伝承に登場する種族である。日本語では妖精あるいは小妖精と訳されることも多い。北欧神話におけるかれらは本来、自然と豊かさをつかさどる小神族だった。エルフはしばしば、とても美しく若々しい外見を持ち、森や泉、井戸や地下などに住むとされる。またかれらは不死あるいは長命であり、魔法の力を持っている。

J・R・R・トールキンの指輪物語では、賢明で天使的な種族である「エルフ」が活躍した。この作品が成功して以降、トールキン風のエルフはグローランサ等、現代のファンタジー作品における定番となった。
ターラン ジープ 指相撲 ギスタン ピアサ ネンタケ リーズ ろくめい レヤイ モルタ つちいろ ダム最適 スモークン シンク ランス スキャッ テヘラ プロケド キックバ バングル シングル ジェルボア ロフト カッサバ ネーズ ロース あわゆ マイド スローキ くわがた ナノマ ミネラル イミテー 桃一郎 ノット マップマット すくね ロール ウォッチ オードュ イズム スタン トレー ドラッスト トラフ ハインド シナサ ジット 邪馬台国 エッフェル

英語では、エルフ(elf)の複数形は、elfs, あるいはelvesである。エルフとの関係やエルフの性質をあらわす形容詞に、elven, elvish, elfin, elfishがある。現代ファンタジーにおける慣例では、綴りに「v」を含む形容詞elven, elvishは、人間型のエルフに使われる。これはヴァイキング時代の北欧神話のエルフ像と一致する。綴りに「f」を含む形容詞elfin, elfishは、小柄なエルフに使われる。これは伝承上のエルフや、ルネサンス期、ロマン主義期のエルフ像と一致する。

欧州各国では以下のように呼ばれる、

ドイツ: Elfen, Elben
イギリス: addler(ただし廃語)
オランダ: Elfen, Alfen, Elven
デンマーク: alfer, elvere, elverfolk、ellefolk、huldrer
アイスランド: álfar, álfafólk, huldufólk(Huldufólkは英語のhidden peopleの意)
ノルウェー: alver, alfer, elvefolk
スウェーデン: alfer, alver, älvor(Älvorは英語でfairyと訳される)
大多数の意見では、elf, álfとそれに関係する単語は、印欧祖語で「白い」を意味する、albhに由来する。albhはまた、ラテン語で「白い」を意味するalbusや、ポルトガル語や英語のアルビノの語源でもある

北欧神話におけるエルフ
エルフに関するもっとも古い記述は北欧神話にある。最初期のエルフは、古ノルド語でアールヴ(a'lfr、複a'lfar)と呼ばれた。同時期の記述は存在しないが、後の民間伝承に登場する、アールヴと語源的に結びついた多くの単語の存在は、エルフへの信仰が古代スカンディナビア人だけのものではなく、ゲルマン民族全体で一般的だったことを強く示唆している。

エルフは北欧神話に様々な形で登場する。現代の私たちが当時のエルフの概念をはっきりと定義づけることは出来ないが、当時の人々はエルフを、強力で美しい、人間ほどの大きさの存在として理解していたように思われる。彼らは一般的に、先祖崇拝と同様に、豊かさと結びついた半ば神聖な集団として言及される。エルフの存在は自然の精霊や死者の魂に対するアニミズム的な信仰と類似していて、ほとんど全て人間の信仰と通じるものがある。ほぼ間違いなく、ゲルマン民族にとってのエルフとは、ギリシャ・ローマ神話におけるニンフや、スラヴ神話におけるヴィラやルサールカのような存在だったと思われる。

スノッリ・ストゥルルソンは、ドヴェルグ(ドワーフ、単 dvergr, 複 dvergar)について、「デックアールヴ(闇のエルフ、単dökkálfr, 複dökkálfar)」または「スヴァルトアールヴ(黒いエルフ、単 svartálfr, 複 svartálfar)」として言及しているが、このような使用法が中世のスカンジナビアにおいて一般的であったかは分からない[3]。スノッリはダークエルフではないエルフを、「リョースアールヴ(光のエルフ、単 Ljósálfr, 複 ljósálfar)」と言及しているが、この使用法は「エルフ」とalbhの語源的な関係と関連している。スノッリは『スノッリのエッダ』において、彼らの違いについて説明している。

”空には「アルフヘイム(エルフの故郷)」と呼ばれる土地がある。「光のエルフ」と呼ばれる人々がそこに住んでいる。しかし、「闇のエルフ」は地下に住み、外見は彼らと違っているが、中身はもっと違っている。光のエルフは太陽よりも明るいが、闇のエルフはピッチよりも黒い。”
"Sá er einn staðr þar, er kallaðr er Álfheimr. Þar byggvir fólk þat, er Ljósálfar heita, en Dökkálfar búa niðri í jörðu, ok eru þeir ólíkir þeim sýnum ok miklu ólíkari reyndum. Ljósálfar eru fegri en sól sýnum, en Dökkálfar eru svartari en bik." [4]
スノッリの作品の外に北欧神話のエルフの姿を求めるならば、スノッリの作品以前のエルフの存在を証明する証拠は、スカルド詩(吟唱詩)、エッダ詩(古エッダ)、サガなどに見つけられる。 エルフはここで、おそらく「全ての神々」を意味する、「アース神族とエルフ」という慣用句によって、アース神族と結び付けられる[5]。 一部の学者は、エルフをヴァン神族と比較したり、あるいはヴァン神族であるとしてきた[6]。 しかし古エッダの『アルヴィースの歌』では、各種族がさまざまな物に付けた名前が紹介されるが、エルフはアース神族ともヴァン神族とも異なる風習を持つ種族として描かれている。しかしこれは高位の豊穣神であるヴァン神族と、低位の豊穣神であるエルフとの違いを表したものかもしれない。また古エッダの『グリームニルの歌』では、ヴァン神族のフレイは光のエルフの故郷である「アルフヘイム」の王であるとされている。同じく古エッダの『ロキの口論』では、エーギルの館で宴会を開かれ、アース神族とエルフの大集団が宴に呼ばれている。ここでフレイの従者ビュグヴィルとその妻ベイラが登場するが、二人が神々の列に加えられていないことと、フレイがアルフヘイムの支配者であることから、この二人がエルフであることが分かる。

一部の研究者はヴァン神族とエルフはスカンジナビアの青銅器時代の宗教の神であったが、後に主神の座をアース神族に取って代わられたと推測している。ジョルジュ・デュメジルをはじめ、そのほかの研究者は、ヴァン神族とエルフは一般人のもので、アース神族は僧侶や戦士階級の神だったと主張している。(ネルトゥスも参照)

スカルドのシグヴァト・ソルザルソンは、1020年ごろの『東行詩』(Austrfararvísur)のなかで、かれがキリスト教徒であったため、スウェーデンの異教徒の家で、「エルフの供儀(álfablót)のあいだの賄いを拒否されたことについて触れている。しかし「エルフの供儀」について信頼できるさらなる情報はない[7]。しかし他の供儀(blót)と同様に、「エルフの供儀」にも食料の提供があっただろう。そして後のスカンジナビアの民間伝承も、エルフにもてなしを捧げる伝統を保っている。

2009年02月13日

サフィズムの舷窓

ハンギング・バスケット・ポーラースター(Hanging basket polar-star)という巨船で、レイプ事件が発生する。

普段からレズビアンだと公言する主人公「杏里・アンリエット」は、犯人だという濡れ衣を着せられ、突然の退学処分を言い渡される。退学までの期間は三週間、その間に真犯人を発見するため、恋人や友人たちと、事件解明に奔走するという物語。
ミング カメリア ハード ナーナ バスロフ バイザー シースルー ピンポン アール キンメイ おもいで モスク バゲージ きらめき ワシン ステージ ドンキ バージョ トンガ スノイズ 春が来た ガスマ オープン チルド シクラメ オーバ ケール バタリアン オカル イシュー トップ スタイ スロバキア ミドルエ ミニマム マキドイ フェイ 王様の楽園 ミラー フーズフー 時の風 リーバイ ゴユリ レイキャ ブラン フリップ ショット ホイール ガーデ アルフ

冒頭では、杏里の友人である天京院鼎がコンピュータで予想される次の被害者を在学中の3名に絞込み、その3名のうち1名を選んで杏里が護衛することになる。そしてそのキャラクターは同時に攻略キャラとなる。
ハンギング・バスケット・ポーラースター(Hanging basket polar-star)(以下H.B.Pという。)は、国家に所属していない超法規的に保護された学園である。それは全長1000メートルという破格の豪華客船内にあり、船内には教室や居住区画はもとより、ゴルフ場、公園、プールその他の遊興施設が備わっており、そのままひとつの町に匹敵する機能を内包して、200人を超える学生に快適な生活を提供している。進水式以来、男性の乗船は一切許されておらず、船長から船員、職員まで、2500名すべて女性で構成されている。

世界中のセレブの娘が集う学校だが、公用語は英語。入学できるのは良家の息女のみで、入学には学力だけでなく、厳しい審査が必要。

杏里・アンリエット(Anri Anriette:あんり あんりえっと) (声:椎名奏子)
本作の主人公。セカンドクラス。(2年生)フランス人と日本人の混血であるが、幼少を日本の関西で過ごしたため、基本的には日本語を話す。英語やフランス語も話せるみたいだが、たまに「超メルシー」などの怪しいフランス語も使う。
大変能天気で学力は低く、どうして入学できたのかは今もわかっていない。
自他共に認めるレズビアンであるが、なぜか自分より年上(厳密には、生まれたのが自分より一秒でも早い女性)には全く魅力を感じない。
プレイ開始当初は、杏里が「子猫ちゃん」と呼ぶ6名の恋人が存在する。
天京院 鼎 (Kanae Tenkyouin:てんきょういん かなえ) (声:関和美)
杏里の親友。サードクラス。(3年生)日本人。レイプ事件解決のためのブレーンとしての役割を果たす。
機械工学の天才であり、数々の作品を作り上げるが、なぜかミキサーが大好きで、作品のすべてにミキサーがついており、ときに耐え難い騒音を発する。
コーヒー狂であり、一定時間コーヒーを摂取しないと禁断症状が出る。
本人はレズビアンではないと発言しているが、クールな態度の裏で、杏里に対して並々ならぬ恋愛感情を抱いている。
ファン・ソヨン(Fan Soyoung:ふぁん そよん) (声:草柳順子)
攻略キャラの1人。ファーストクラス。(1年生)韓国の鎮海出身。
軍人の娘であり、礼儀正しく真面目。スポーツが得意であるが性格もよく、皆の人気者である。
猫が大好きで、猫グッズをよく集めている。自室には大量のキムチを保管している。
アルマ・ハミルトン(Alma Hamillton:あるま はみるとん) (声:原西希京)
攻略キャラの1人。ファーストクラス。スウェーデン出身。林業王の娘。趣味はゴルフや乗馬。
極端な箱入り娘であったため、世事に非常に疎く、友人との会話にもついていけないこともしばしば。
ウェルズという付き人がおり、杏里の接触を常に邪魔しようとする。
アイーシャ・スカーレット・ヤン(Aisha Scarlet Yang:あいーしゃ すかーれっと やん) (声:秋本良子)
攻略キャラの1人。サードクラス。シンガポール出身。
サードクラスだが、飛び級であるため、実際は杏里よりも年下。これに対して杏里は「ワオ!トレビアーン」などと発言しているが、この発言はアイーシャの学力よりも、年齢に対するものであることが容易に想像できる。
あまり快活な性格ではないようで、友人は少なく、孤立している。
ニコル・ジラルド(Nicolle Gerald:にこる じらるど) (声:栗原雅子)
杏里の「子猫ちゃん」の1人。ファーストクラス。イタリアのフィレンツェ出身。趣味はギャンブル。
以前、杏里と賭けをしたことがあり、それに大負けしたため、しぶしぶ杏里の恋人になったとのことだが、本心は満更でもないようである。
ペットに「コローネ」というボルゾイ犬がおり、H.B.Pでは原則ペットの飼育は禁止なのだが、ほぼ黙認という形で飼っている。また、「コローネ」はオス犬であり、故に乗船の際に大きな問題にもなったようである。
ニキ・バルトレッティ(Niki Baltretti:にき ばるとれってぃ) (声:椎名奏子)
杏里の「子猫ちゃん」の1人。ファーストクラス。ドイツ出身。
世界的なアーティストを両親に持つが、ほとんど言葉を喋らないため、両親に見捨てられH.B.Pに入学。
会話はほとんど手話であり、極度の対人恐怖症のため、友達はいないようである。授業にも数回しか顔を出していない。
医師が投げ出したニキの心のケアを杏里が長期間かけて行い、恋人になったようである。
ニコルのペットである、ロシア産のボルゾイ犬「コローネ」を、よく抱いている。
ヘレナ・ブルリューカ(Helena Burliuka:へれな ぶるりゅーか) (声:長崎みなみ)
杏里の「子猫ちゃん」の1人。セカンドクラス。ロシア出身。
H.B.Pの唯一の風紀委員。生真面目で、素行の悪い杏里をよく監視しており、事あるごとに注意している。
杏里の子猫ちゃん第1号だが、本人は杏里の恋人であることを口では否定している。しかし、やはり満更でもないようであり、杏里によく押し倒されている。
ちなみにカップリング人気投票で1位を獲得しており、ユーザーからの人気も高い。
イライザ・ランカスター(Eliza Lancaster:いらいざ らんかすたー) (声:西田こむぎ)
杏里の「子猫ちゃん」の1人。杏里と同年代。イギリス出身。
以前は貿易商のセレブの娘であり、H.B.Pの生徒だったが、両親が事故で行方不明、実家が没落し、後には借金しか残らなかったため、H.B.Pのメイドとして勤務する。生徒のときは杏里を毛嫌いしていたが、現在は杏里の子猫ちゃんであり、忠実なメイドとなっている。
クローエ・ウィザースプーン(Chloe Witherspoon:くろーえ うぃざーすぷーん) (声:栗原雅子)
杏里の「子猫ちゃん」の1人。セカンドクラス。ギリシャ出身。
ギリシャ正教徒であり、読書とテコンドーが趣味。静寂を好む
父と兄は造船技師であり、H.B.Pの設計も手がけた。故に、クローエもH.B.Pの内部構造には非常に詳しい。
図書館で読書にふけっては杏里に邪魔され、その度に杏里にかかと落としを決めている。
アンシャーリー・バンクロフト(AnneShirley Bancroft:あんしゃーりー ばんくろふと) (声:本山友美)
杏里の「子猫ちゃん」の1人。ファーストクラス。コロンビア出身。
国内最大の製薬会社の社長の娘というのが定説だが、実態はどうやら麻薬農場の元締めの娘らしい。
常に怪しげな薬を持ち歩き、自分が飲んだり人に飲ませたりする。不思議発言も多いが、最低限の常識は持っているようである。
クレア(Clare:くれあ) (声:三園あすか)
ビジタークラスの生徒。(H.B.Pには、将来入学を希望している者のために、3ヶ月間の体験入学制度があり、その生徒をビジターと呼び、そのクラスをビジタークラスと呼んでいる)
常に友人のミリエラやコーと行動を共にしている。杏里に興味がある。
ミリエラ(Mirriela:みりえら) (声:長崎みなみ)
ビジタークラスの生徒。常に友人のクレアやコーと行動を共にしている。レズビアンの杏里に興味があり、自身もレズビアンとしての才能をここで開花させることとなる。
コー(Coe:こー) (声:春野日和)
ビジタークラスの生徒。常に友人のクレアやミリエラと行動を共にしている。何にでも興味津々なお年頃である。

2009年01月27日

Su-17 (航空機)

Su-17(スホーイ17、スホイ17;ロシア語:Су-17スー・スィムナーッツァチ)は、ソ連のスホーイ設計局が開発した超音速ジェット軍用機である。Su-7を改良した可変翼機で、戦闘爆撃機や偵察機として使用された。

名称の「Су-17」は「スー17」と読むのが正式であるが、慣習的に「スホーイ17」と呼ばれることもある。北大西洋条約機構(NATO)の考案したNATOコードネームはSu-7から続く「フィッター」(Fitter:「仕立物屋」)で、派生型に応じて「フィッターC?K」(Fitter C - K)が割り当てられた。Su-20(Су-20スー・ドヴァーッツァチ)やSu-22(Су-22スー・ドヴァーッツァッドヴァー)はSu-17の輸出向けの派生型である。

ソ連では1950年代後半以降、大型の前線戦闘機として開発されたSu-7戦闘爆撃機シリーズを空軍の対地攻撃力の根幹に据えてきた。しかしながら、このSu-7は短い航続距離と少ない兵器搭載量という戦闘爆撃機としては致命的な欠陥を抱えており、1960年代にはその後継機の開発が必須とされた。その結果開発されたのがSu-17とMiG-23Bであった。

Su-17はSu-7BMの後退翼を半可変翼としたSu-7IK(設計局名:S-22I)を基にして開発された。一方、国内対抗機となったMiG-23Bはソ連国内向けのMiG-27と輸出向けのMiG-23BNに発展し、両者は並行して生産が開始された。Su-17シリーズは可変翼機ではあるが、ピガー点が主翼の中ほどにあるため、アスペクト比の変化は大きくない。なお、後退角は28度から62度で変化する。

完全な新型機であったMiG-23/27に対し、Su-17シリーズは原設計の古さにも拘らずMiG-23/27よりあとの1990年まで、国内向けに1095機、輸出向けに1866機が生産された。これは設計陣の絶え間ない改良努力の結果でもあり、今日のスホーイ設計局の礎となったといえる。また、一度に搭載できる兵器の数がMiG-23/27より多かったこと、Su-7以来の信頼性の高さなどもSu-17シリーズが長期に亙って大量に生産・配備されたことの理由といわれている。

なお、Su-17シリーズは「戦闘爆撃機」と分類されるが、実際は偵察コンテナーを搭載した前線偵察機としても重要な機体であり、今日でいうマルチロール機と言える多用途機である。特にロシアやウクライナ、ハンガリーなどでは、末期は偵察任務中心に使用されていた。また、その他にも多くの開発機や研究機がSu-17シリーズから開発されており、実際に生産へ移されたものもあった。
プレシン スタン ガッツ ジャー ひのえま トーイ プールバ ジメチル ウイット ブチュ ディス ハピパラ ていてつ コチニー ハトムギ トライク 紅葉雪 スカラ はちのへ ストラ 熱帯雨林 ストーン テンス もみじが NETリブ 恋待月 サーチ 桜坂 チシェリー トートナビ フェノール ツルコ のへじ トレラ ルーセン つるみ デジカルビ ディパー オーナラ すぎごけ デルフ マニフェ デリン ようとう スエヒ レソト スイング リベート ハッピー ミリグラム

Su-17シリーズに関する話題としては、1981年8月19日、リビアに輸出されたSu-22Mがアメリカ海軍のF-14戦闘機に撃墜されたことが西側で広く宣伝されている。この際には、R-3赤外線誘導空対空ミサイル2 発を搭載したSu-22Mがアメリカ海軍の航空母艦に対し脅威を及ぼす行動をとったとしてF-14が迎撃に上がり、短い空中戦ののちSu-22Mは2 機とも撃墜された。Su-22Mのパイロットの戦術が稚拙であり、また搭載兵器の能力も著しく劣っており、同じ可変翼機とはいえそもそもの開発目的が異なる両機の対決は初めから結果が見えていたとされる。なお、小型の空対空ミサイルしか搭載していなかったSu-22Mがどのように航空母艦に対し脅威を及ぼすことができたのかは不明である。この事件は、1981年のシドラ湾事件と呼ばれている。

それ以前に、Su-17の最初の実戦活動となったのは第四次中東戦争におけるアラブ側による前線投入であった。この戦いでは、極初期型のSu-17とSu-20が従来のSu-7BMKやMiG-17Fとともに使用され、イスラエル陣営への爆撃に効力を発揮した。その後も、中東方面では湾岸戦争後に到るまで実戦運用が続けられた。南北に分裂していたイエメンでは、双方にSu-22Mなどが採用されて互いの領土を爆撃しあった。イラン・イラク戦争でもSu-22MやSu-22M4がイラク軍によって使用された。

アフリカでもリビアのほかアンゴラで大々的な実戦投入が行われた。1980年代、アンゴラはCIAの支援する反政府組織や敵対する南アフリカの地上軍に対する攻撃力の増強のためにMiG-23MLAなど新しい機材の購入を行い、またキューバからの軍事支援も取り付けたが、その中で大きな対地攻撃力をもつ機体としてSu-22やSu-22M4の配備が実施された。

Su-17シリーズがもっとも重要な任務を務めたのはソ連によるアフガニスタン侵攻時のことで、Su-17M4を主要装備とした爆撃部隊が敵ゲリラの潜む山岳地帯や都市の爆撃を行った。また、Su-17M3RやSu-17M4Rを主要装備とした偵察部隊は、ソ連軍の偵察戦力の主幹として多くの任務をこなした。こうした中で、多くの機体が敵の地対空ミサイルの犠牲になり、機体へのチャフ・フレア・ディスペンサーの増備など地対空ミサイル避けの対策が講ぜられていった。Su-17シリーズは、Su-7BMKの後継および補強としてソ連の支援するアフガニスタン勢力へも供給されたが、のちには敵勢力にも捕獲され運用された。

Su-17は戦闘爆撃機や前線偵察機として使用されたため敵機の撃墜などのいわゆる「派手な戦果」は挙げる機会に恵まれなかったが、その中で珍しい戦果としては、1994年3月22日にマスード将軍の北部同盟空軍のSu-22(サブタイプ不明)が当時のドスタム空軍のMiG-21(サブタイプ不明)を撃墜したことが報告されている。

南アメリカで唯一Su-17シリーズを採用したペルーでは、隣国エクアドルとの紛争にSu-22を投入した。攻撃任務の際、少なくとも1機のSu-22がエクアドルのミラージュF1戦闘機によって撃墜されている。ペルーではその後Su-22Mを導入したが、これらの機体は実戦は経験していない。
ソ連崩壊に伴う独立後、ロシアでは欧州通常戦力削減交渉を受けて予定より機体の退役時期が早められた。1990年代半ば以降ロシア空軍ではSu-17シリーズは条約制限外の「練習機」として運用が続けられたが、同空軍が「今後作戦機は双発機のみとする」としたこと、ロシア経済が崩壊したことなどから削減は続けられ、1998年にウクライナのクルィームに配備されていた海軍航空隊機の退役を以ってそのキャリアを終えた。その部隊をはじめ、それまでSu-17シリーズを装備していた部隊の内解散されなかったものはSu-24に転換した。アゼルバイジャンやアルメニアでは周辺国との紛争時にSu-17M(M3? M4?)を使用したという情報もあるが、そもそも保有機体のサブタイプからして不明である。

ヨーロッパにおいて、近年までSu-17シリーズはポーランド、ドイツ、ブルガリア、スロヴァキアなどで運用がされてきたが、その多くは近年退役し、2005年現在、運用を継続しているのはポーランド空軍だけである。ブルガリアのSu-22M4/Rは2004年5月に退役し、ドイツで長らく評価用に運用されてきたSu-22M4もMiG-29の退役にあわせて現役を退いた。一方、ポーランドのSu-17シリーズは、以前はSu-20R前線偵察機とSu-22M4戦闘爆撃機、Su-22M4R前線偵察機、Su-22UM3K練習戦闘機であったが、現在はSu-20Rは退役し、Su-22M4等後期型のみが運用されている。これらの機体は敵味方識別装置等についてNATO標準に合わせた近代化改修が施されており、2010年以降まで運用する予定である。なお、それまでに一部の部隊はアメリカ合衆国製のF-16Cに機種変更するが、これはNATO化改修された機体であっても元来根本的にNATO標準とは異なる設計・装備がなされているSu-22M4ではNATOが求める装備の完全な統一運用ができないためである。これは同国のMiG-29A/GやスロヴァキアのMiG-29A等についても当てはまることであり、NATOの中での非NATO機の在り方を探るという意味において今後の動向が注目される
ペルーでは近年、保有するSu-22やSu-22Mに対して近代化改修を施しており、ベラルーシから入手したSu-25とともに貴重な対地攻撃戦力として維持している。

エジプトの保有機に関しては詳らかでないが、戦争を生き残ったSu-20に対し近代化改修が行われたという情報もある。

イラクでは、大多数の、恐らくはすべての機体が飛行可能状態にないと考えられる。

イランでは、イラクから入手された機体が運用されていたが現況は不明。

南北が統一されたイエメンでは引き続きSu-22Mが運用されているが、その後ウクライナより若干のSu-17M4が追加取得された。

ヴェトナムでは、Su-22Mを偵察任務に、Su-22M4を攻撃任務に運用している。同国では近年より強力な戦闘爆撃機となるSu-30MKの採用が決まっているが、Su-22M4の近代化改修作業も完了しており、今後も運用が続けられる見込みである。

内戦やアメリカによる侵攻で多くの機材を失ったアフガニスタンでは、現在でもSu-17シリーズを運用しているのかは疑わしい、新しい塗装の施されたSu-22や破損したSu-22Mが保有されているようであるが、これらは軍の正式の装備には数えられていない模様である。現在、アフガニスタン軍が保有しているとされる軍用機は、MiG-21bis/UM、L-39、An-26、An-32、Mi-24V、Mi-8MTVのみである
Su-17(Су-17) ВВС СССР Су-17 #24
初期生産型。Su-7BKLと同じく、リューリカ設計局製のAL-7F-1-250ターボジェットエンジンを装備した。飛行最高速度はマッハ 2.1。可変翼の採用により、後退翼機であるSu-7より効率的な飛行が可能となり、離着陸に要する滑走距離と航続距離が大幅に改善された。なお、当初の試作機より量産機は尾部を中心にさらなる構造の洗練と電子装備の追加が行われた。Su-17は前量産機的な存在であったため生産数は限られ、ほとんどがソ連空軍で使用されたのち退役したが、一部はエジプトへ輸出され実戦へ投入された。

Su-17MSu-17M(Су-17М) ВПС України Су-17М #06
Su-17の改良型で、この型より本格的な配備が始められた。エンジンは、リューリカ設計局製の新型ターボジェットエンジンAL-21F-3に変更されていた。AL-32F-3はそれまでのAL-7シリーズのエンジンより小型軽量で、出力に加え燃費も大幅に向上していた。エンジンの小型化と出力の増加に伴い、それまでの直径の大きなエンジンに合わせエリアルールに則り膨らまされていた胴体尾部は、生産性の向上のためエリアルールを無視して前部胴体と同じ直径のものに設計変更された。エンジンの燃費の向上と燃料タンクのさらなる増積の努力により、航続距離と武装搭載量はさらに増加した。

Su-20Su-20(Су-20) IraqAF Su-20, 2004
Su-17Mの輸出型で、ワルシャワ条約機構加盟国向けの機体は"A"、それ以外の第三世界向けの機体は"B"と称され、"B"はSu-7に準じた大幅なスペックダウン機であった。エンジンはAL-21F-3を搭載。ポーランドやアラブ諸国が使用。Su-17Mの輸出型という意味のSu-17MKとも呼ばれた。偵察機型はSu-20Rで、新規での生産はなく全機が既存の機体からの改修機であった。

Su-17M2Su-17M2(Су-17М2) ВВС СССР Су-17М2 #67 ВВС СССР Су-17М2
Su-17Mの改良型。偵察機に改修された機体はSu-17M2R、コマンド誘導空対地ミサイルKh-23を運用可能とした改良型はSu-17M2-Dと呼ばれた。

Su-22Su-22(Су-22) FAP Su-22A(mod.) #024, 2005 FAP Su-22A(mod.) #022, 2005
Su-17M2の輸出型で、いわゆる"B"規格に当たる。Su-20Mと呼ばれることもある。エンジンはMiG-23の搭載するトゥマーンスキイ設計局製のターボジェットエンジンR-29-300に準じたR-29BS-300が採用された。ペルー、リビア、アンゴラ、アフガニスタン(アフガニスタン民主主義共和国空軍(DRAAF)機やタリバーン空軍(IEAAF)機が確認されている)等で使用されている。また、一部はソ連空軍でも使用された。ペルー空軍の機体は近代化改修を受け、外見も若干変化している。

Su-17UMSu-17UM(Су-17УМ) ВВС СССР Су-17UМ #80
Su-17M2の複座型であるが、機首が下方へ曲げられ背部の膨らみも大型化されるなど機体形状が大きく変化した。この形状の複座型の開発には、のちの戦闘爆撃機型Su-17M3の原型機とする目的もあった。
Su-17M3(Су-17М3) ВПС України Су-17М3 #50
Su-17シリーズの後期型で、複座型に準じた機体形状となった。当初Su-19とも呼ばれたが、正式にはSu-17M3となった。1978年規格以降の機体は、それまでの型より垂直尾翼端が延長された。また、後期シリーズは機体尾部下面にもフィンが取り付けられている。Su-17M3では、小型のハードポイントが左右の主翼に1ヶ所ずつ追加され、ここに自衛用の空対空ミサイルR-60を搭載できるようにされた。ソ連向けSu-17シリーズでは輸出型で搭載されていたR-3/13ミサイルは運用できるように設定されていなかったため、この小型ミサイルが初めての自衛用武装となった。のちに偵察機に転用された機体はSu-17M3Rと呼称された。また、対レーダーミサイルKh-27PSやKh-58の運用システムBA-58"ヴィユーガ-17"を搭載可能とした対レーダー攻撃機Su-17M3Pも、Su-17M3の一部として部隊配備された。S-17M3Pと通常のSu-17M3とは、Su-17M3PではBA-58の受信アンテナが機種下面中央線上に設置されていることから外見上も識別できる。Su-17シリーズ中最大機数が生産され、ソ連崩壊後も独立国家共同体各国で運用された。

Su-17UM3(Су-17УМ3) ВВС России Су-17УМ3 #87, 1994
Su-17M3に準じた複座型で、本格的に生産された複座型。

Su-22MSu-22M(Су-22М) FAP Su-22M(mod.) #167, 2005 FAP Su-22M #176
Su-17M3の第三世界向けの輸出型。いわゆる"B"規格の輸出型であると分類できる。"クリョーン"などの最新機材や最新ミサイル等を外した大幅なダウングレード型であった。エンジンはR-29BS-300を搭載した。Su-22Mの後期シリーズは、Su-17M3の後期シリーズに準じて垂直尾翼端の延長が行われている。尾部下部フィンの取り付けは、行われているものとそうでないものとがある。後期シリーズに関してはSu-22M2とされることもあるが、正式な呼称ではない。リビア、ペルー、ヴェトナム、イエメン等で使用。一部はソ連空軍でも運用されたが、それらの機体は輸出された機体とは搭載機器が異なっていた。なお、ペルー空軍の機体は近代化改修を受け、外見も若干変化している。
Su-22UM(Су-22УМ) FAP Su-22UM #029, 2005
Su-22Mに準じた複座型。同機使用国で運用。

Su-22M3Su-22M3(Су-22М3)
Su-17M3のワルシャワ条約機構加盟国向けの輸出型。いわゆる"A"規格の輸出型であると分類できる。尾部下部フィン・垂直尾翼端延長あり。ハンガリーのみが導入した。ソ連では当初Su-22M3をエンジンを含め完全なSu-17M3の輸出型とするつもりであったようだが、同時期にMiG-23MFを導入したハンガリー側の希望があり、エンジンはMiG-23シリーズと共通のR-29系のもの、即ちそれまでSu-17シリーズの"B"規格に採用されてきたものと同じR-29BS-300が採用された。搭載機器は基本的にSu-17M3と同じものであった。偵察機型としてSu-22M3Rとも呼ばれる。
Su-22UM3(Су-22УМ3) HungaryAF Szu-22UM3 #08
Su-22M3に準じた複座型。ハンガリーで運用された。
Su-17M4(Су-17М4) ВПС України Су-17М4Р #50, 2002
最終型で、最も高度な攻撃能力を持つ発展型。当初Su-21とも呼ばれたが、正式にはSu-17M4となった。実用上過剰な機能であった可動式空気取り入れ口を固定式とするなどの簡略化を行い、重量を軽減するとともに機器の収納スペースの増加を図った。そのため、最高速度はマッハ 1.75となった。外見上の変化は、M3よりさらに大型化された背部の膨らみや、垂直尾翼付け根のインテイクの追加など。数シリーズが生産されたが、外見上はアンテナ類の相違から判断できる。ソ連からの独立後も独立国家共同体各国で使用された。また、ウクライナ機などの一部は輸出されたとされる。偵察機型はSu-17M4Rで、新規生産された機体と改修機とが存在した。

Su-22M4Su-22M4(Су-22М4) PolandAF Su-22M4(mod.NATO) #3509, 2005 PolandAF Su-22M4(mod.NATO) #7410, 2004
Su-17M4の輸出型。ワルシャワ条約機構加盟国向けの"A"規格と、それ以外の第三世界向けの"B"規格とがある。基本的には、前者はSu-17M4の初期シリーズ、後者はSu-17M3の後期シリーズ程度の能力を持つ機体として設計されている。エンジンはいずれもAL-21F-3を搭載。ポーランド、ドイツ、ブルガリア、チェコ、スロヴァキア、ヴェトナム、アフガニスタン、イラク、アンゴラ等で使用。偵察機型はSu-22M4R。なお、ポーランド空軍の機体はNATO化改修を受け、外見も若干変化している。
Su-22UM3K(Су-22УМ3К) PolandAF Su-22UM3K(mod.NATO) #707, 2005
Su-17UM3に準じた複座型。Su-22後期型使用国で運用。エンジンはAL-21F-3を搭載。
Su-22M5(Су-22М5)
フランスとの協力で、Su-22M4の近代化改修機として開発された機体。航空ショーに出展されたことがあったが、現在実際に運用している国はない模様。
Su-22M6(Су-22М6)
Su-22M4の廉価版として開発された機体。Su-17M4N、S-54N、S-56などとも呼ばれた。可変翼を廃し、45度の後退翼を持った航空機として設計されたが、実際に制作されることはなかった。