シャルルマーニュの息子ルイ1世(独語:ルートヴィヒ1世)には3人の息子がおり、843年のヴェルダン条約によってフランク王国の所領が三分割された。その後、870年のメルセン条約で領土の見直しが行われ、現在のフランス・ドイツ・イタリアの礎となる西フランク王国、東フランク王国、イタリア王国が成立した。この頃の西フランク王国は、北方からのノルマン人(ヴァイキング)の進出に苦慮しており、10世紀初頭にはノルマン人のロロにノルマンディーの地を封じた(ノルマンディー公国)。後にノルマンディー公がイングランドの王位に就いたことで、その後の英仏関係は様々な紛糾が引き起こされた。
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カロリング家の断絶後、987年にパリ伯であったロベール家のユーグ・カペーがカペー朝を創始した。ノルマン人の討伐で活躍したユーグ・カペーだったが、その王権は東フランク王国(ドイツ王国)などと比べても脆弱で、パリ周辺のみにしかその王権は及ばなかった。13世紀ころより徐々に王権の強化が進み、イングランド王リチャード1世やジョン王と争ったフィリップ2世は、プランタジネット朝(イングランド王家)の領土であったノルマンディーやアンジューを奪った。また、この頃フランス南部で広まっていたアルビジョワ派が異端とされ、アルビジョワ十字軍が組織された。この異端撲滅闘争は仏王ルイ9世の時代までに完了し、結果としてフランス南部にまでフランス王権が伸張することになった。このように、総じて13世紀におけるフランス王権の強化は、ローマ教皇との連携を前提として進められたものであった。しかし、第6回十字軍・第7回十字軍を行ったことはフランス財政に重い負担を与えることになった。